伝説にならないで

“伝説にならないで”
その言葉や想いが
人を苦しめる事もあるのかもしれない。
でも私はそれを想い望んでいた。

詩人の成宮アイコさんと
出逢ったのは今年の頭だった。
koyubiというバンドやソロで活動している
内藤重人くんのからの紹介で
一緒に音楽をしている成宮さんの
レコーディングとミックスをして欲しいという
依頼を受けプリプロ(レコーディング前の打合せ)
に向かった。

スタジオにはすでに成宮さんがいた。
落ち着いた方なのかなと最初は思ったが
お話をしていくとハロプロとプロレスが
好きなようで色々と熱心に教えてくれた。

機材の準備をして今回レコーディングをする曲を
録りながらヘッドホンで聴いていた。

その間多分表情には出ていなかったと思うが
心がずっとざわざわしていた。
触れて欲しいような
触れて欲しくないような
そんな言葉がヘッドホンから聴こえてきた。

後日レコーディングをして
ミックスの作業をしていた。
その時自分にはこの時まだ入っていない
音が頭の中で鳴っていた。

普通ミックスをする際
こちらで新しい音を足す事はなくて
レコーディングした音で作品を作る。
でも今回は入っていない音が心に鳴っていて
自分の中ではその音が入るほうが
さらに成宮さんの言葉と内藤くんの音が
聴いてくれた人の心の奥に
届くと強く思っていた。

失礼に当たる事も承知で
自分なりの音と想いを入れたミックスを
送った。正直怖い部分もあった。

だが2人はそれを
とても良いと言ってくれた。
私はすごく嬉しかった。
その他の曲にも心の中に落ちてきた
音を入れようと思い重ねていった。

多分この時3人はバンドになったんだと
思う。名義は違うけどバンドなんだと思う。

楽曲の1つに“伝説にならないで”
という曲がある。
私はこの曲を何度も聴き沢山のことを
考えていた。



気づけばそれから時間が
とても経っている事に気がついた。
ある日私の大切な人は
伝説になってしまった。
ありきたりな言い回しだけど
心にぽっかり穴が空き
その穴はこれからも
ずっと埋まらないと思う。



そして今わたしには
“伝説にならないで”と思う人がいる。

しかしその言葉自体がその子を
追い込んでしまうかもしれない。
苦しめてしまうかもしれない。
そう思うと素直にその言葉を口に
出せない自分がいた。

でも成宮さんの言葉は違う気がした。

押しつけがましくもなく
突き放すわけでもなく
ただそばに寄り添ってくれるような
そんな言葉だった。

この曲を作るにあたり
成宮さんと沢山お話をした。
自分の中にあるその気持ちも話した。

私はこの曲を必要な人に
きちんと届けたいと思った。

そしてその子にも届けたいと思った。

人はそれぞれ色んな境遇や環境や
生活や考え方や生き方や死に方がある。
そんな中でやっぱり自分は大切な人が
望まない結果になってしまうのはとてもつらい。

私も成宮さんの言葉のように
寄り添えるような音を作りたいと思った。

“伝説にならないで”
その言葉や想いが
人を苦しめる事もあるのかもしれない。

でも自分の中に変わらずあるその想いを
重荷にならないように
そっと届けたいって思った。

だからこの旅はまだ続くのです。

色々な世界

色々な所にいい顔してるから
全然よくならないんだ。
嫌われても多少の人が死んでも
それを遂行したほうが世の中が良くなると
いう話をされた。

おれはこういう時に死んでしまう方に
いる人生だったので
殺される人の気持ちを考えてしまう。

そして今自分の出来る事の無力さと
それでもこうして生きている申し訳なさと
抱えて生きている。

笑顔になる事さえ罪に感じてしまう。

ありがとうというきもち

私は気持ちを伝えるのが上手くない

不安定な毎日が更に不安定を増し
コップの水が溢れてしまう日々

大変なものを無くしてしまった時
わたしは今普通じゃない事に気付き
目を覚ました

そのような酷い状況の中でも
そんなわたしにも
手を伸ばしてくれる人はいた

今はごめん。力貸してって
差し伸べてくれた手に
わたしはしがみついた

とても不安な状態ながら
私は自身のバンドのフェス出演の為
台湾に向かった

台湾では今回コーディネートしてくれた
KEIちゃんとカメラマンのEMMAちゃんと
時間を共に過ごした

今回は台湾最大規模のフェス出演で
私のバンドGenius P.J’sは
何万人も入る隣のステージのトリ

同じ時間に出演するバンドは
台湾でも凄く人気だという話で
お客さんが集まってくれるか心配だった

サポートとして参加してくれる
百瀬巡さんと会場の方々に
Genius P.J’sのライブの事を伝え回った

その中で台湾や色々な国から来ている
人と友達になった

他愛ない普段の生活の事や
香港の今の現状の事や
多くの話をした

それぞれ夢や希望も持ち
苦労も涙も流し
普通の生活も過ごし
それでもここでこうやって会える時間を
共有している事を楽しいと感じでいた

蓋をあけると
本当に多くの方が
私たちのライブを見てくれ
音楽や気持ちを感じ取ってくれた

人の気持ちってわからないけど
あの瞬間だけはわかった

伝わっているって。

ライブ後も多くの方が
気持ちを伝えに来てくれた

心から嬉しいって思った

色々な人の力を借りて
素晴らしい時間を頂いた

KEIちゃんEMMAちゃん
フェスのスタッフの皆様
サポートしてくれた
祢津くん百瀬さん
相方のchamois
日本でのぼろぼろの私を
気にかけてくれる方々

そして助けてくれた
多くの台湾や色々な国方々に

わたしはきもちを伝えるのが
上手くないけれど
心から溢れるありがとうを伝えたいです

ありがとう。

気づく

今自分がどんな状態なのか
色々あり
ようやく気がついた

助けてと踠くと
無意識に立てていたその爪で
その人を傷つけていた

それならば
このまま溺れて死んだ方が
いいって思った

great escape

今の私には逃げ場所がなくなって
しまったようです。
落ち着く所ってどこにあるんだろう。

みんなちゃん落ち着く所を
持ってますか?

出来るだけ多くの人が
こんな悲しい気持ちになってない事を
祈る事しかできません。

今はただ逃げる場所が
わたしはほしい。

それでも非情にも
日々は続いて
わたしは歩く事をとめては
ならないのです。

彎曲

誰かを傷つけたい訳ではなかった
一対一で対話をしたかった。

SNSに気持ちを書いてしまってしまい
混乱や迷惑をかけてしまいました。
ごめんなさい。

大丈夫だよって
言ってあけられる存在に
なりたかったです。

皮膚が産まれ変わるように

ひとは再生を繰り返して
生きている

昨年末から今年に入り
自身のバンドGenius P.J’sや
楽曲提供の他にご縁あり
ある事務所の新規事業部に
お誘い頂き新しいチームの
素晴らしい方々に囲まれた中で
音楽を作る場を頂いた。

その他にも今年は普段経験の出来ない事を
させて頂く機会に恵まれている。

日々は
楽しくも目まぐるしく進んでいる。

そんな中
普通であった部分の毎日が
変わり出しているのに気がついた。

行きつけのお店が次々と閉店したり
大切な方が次々にと引越しをしたり
仕事のシステムが大きく変わり
長く時間を共にした人が辞めたりと。

改めて自分はあの日から
こんなにも長い時間を抜けて
今ここに居る事に気がついた。

本当は日々はずっと変わっていた。
それがとても悲しく辛いものだと
いうことも自分は感じた。

それに加え元々人付き合いが
苦手な自分としては
色々な新しい方々と音楽を作る上で
プレッシャーや重圧で
気持ちが不安定な事も多々あった。

ある日そこまでの溜まっていた
何かが自分から溢れ出た。

気持ちなんてなくなれば
いいのになって思った。

そんな中仲間のバンドである
birds melt skyとvalowsというバンドの
サポートで台湾へ向かった。

同じく日本からライブを行いにきた
SaraGrace’s OneHotNightと
3バンドで広い部屋をシェアし
過ごす時間はとても尊いものだった。

朝まで呑みながら色々な話をしたり
早起きして久々にトランプをして
盛りあがったりした。

その良いグルーヴが
ライブで音楽となり
両バンドのライブ共とても盛り上がり
素敵なものになった。

ライブをしている時
気持ちというものがある幸せさも感じた。

気がつくと心に
べばり着いていた
取れない瘡蓋のようなものが
心から剥がれ落ち
皮膚がまた産まれかわったような
感覚があった。

ひとは再生を繰り返して
生きている。

肉体や心の再生が出来なくなった時
人は死んでしまうのだと思う。

そしてその再生をしてくれるのは
結局人なんだと思った。

素晴らしい時間や経験や優しさ頂き
私はまた東京に戻る。

今度は自分が作る作品で
誰かの再生になりたいと思った。

生きるための芸術

死ぬ寸前まで
音楽をする事が出来ているだろうか。

今年は有り難い事に色々なお話を頂き
日々音楽制作を続ける日々が続いていた。

そして一つ今年のテーマとして
やった事がない事には進んで
チャレンジするという事を決めていた。

初めての北海道ツアーや
初めての弾き語りライブやテレビ出演。

みんなはやった事がある事かも
しれないけれど自分は初めての事。

不安やドキドキする事がまだある喜びを
その都度感じていた。

しかし当たり前の事かもしれないが
時間には限りがあり
やりたい事や制作に詰まりかけていた。

ゴールデンウィークに東京にいると
色々誘惑もあるだろうし
少し遠くへ行き
集中して音楽がやりたいと思った。

私はtwitterに
ゴールデンウィークに音楽制作を集中して
出来る場所は無いか?と情報を呼びかた。

そのツイートを見た1人の方が
北茨城市にarigateeという滞在制作できる
ギャラリーアトリエを作ったので
そこで制作してはどうですか?
と提案してくれた。

茨城は私の故郷でもあったのと
やりとりをする中で提案して下さった
のりおさんは以前名古屋での
ライブイベントでお逢いした事のあった方と
分かりこれもご縁だなと思い滞在させて
貰う事にお願いをした。

のりおさんのツイートを
色々と拝見すると檻之汰鷲という名で
奥さまのちふみさんと共に今は茨城で
アート活動をしている事も知った。

自分が一つ目標にしている
芸術で生きて行く事を実践している方の
生活や考え方や色々お話を聞きたいという事も
もう一つの理由であった。

東京から電車で約3時間
気持ちの高ぶりもありあっという間に
大津港という駅に到着した。

駅に着くとお二人が優しく出迎えてくれた。
人見知りの自分なのだが
お二人には自然に話がする事が出来た。

車で30分弱ほど行った山奥に
arigateeはあった。
赤い屋根が特徴的な古民家で
玄関に入ると可愛らしい動物の置物が
出迎えてくれた。

可愛らしい動物が好きなのと
家中もお二人がリノベーションをして
下さったおかげでとても快適で素晴らしい
空間となっていてこれから数日の制作が
ここで出来る事のわくわくを感じていた。

東京から持ってきた機材をセッティングし
制作スペースも作り
集中して制作する事が出来た。

時折ギャラリーに訪れる方々と
お茶を飲みながら色々な生活を聞かせて頂く事もできた。

煮詰まった時には近くの川に行ったり
下山して地元の商店に買い出しを言って
お店の方とお話したり素敵な時間だった。

制作最終日前日の夜
のりおさんとちふみさんが
バーベキューを用意してくれて
沢山色々なお話を聞く事ができた。

アーティストとして生きていく事の
かなり深い所や悩みも聞いてもらった。
不安や悩みは沢山ある。

その中で先陣を切って進んでいる先輩が
居るという事はとても心強い事だった。

アーティストとして生きてく上で
足りないものも分かった。

バーベキューの最後に
沢山お世話になったお2人に
密かに作っていたarigateeという曲を
聞いてもらった。

とても喜んで貰って音楽の本質も
凄く感じれたし
またここに来て今度は地元の方々にも
喜んでもらいたいと思った。

アートや音楽が誰かのほんの些細でも
何かの幸せになっているなら
僕は続けていきたい。

その為に色々考えて動いていきたい。

凄く大切な時間を
北茨城の方々に貰いました。
またここに帰ってきたい。

旅はまだ続くのかなと思った。