ありがとうというきもち

私は気持ちを伝えるのが上手くない

不安定な毎日が更に不安定を増し
コップの水が溢れてしまう日々

大変なものを無くしてしまった時
わたしは今普通じゃない事に気付き
目を覚ました

そのような酷い状況の中でも
そんなわたしにも
手を伸ばしてくれる人はいた

今はごめん。力貸してって
差し伸べてくれた手に
わたしはしがみついた

とても不安な状態ながら
私は自身のバンドのフェス出演の為
台湾に向かった

台湾では今回コーディネートしてくれた
KEIちゃんとカメラマンのEMMAちゃんと
時間を共に過ごした

今回は台湾最大規模のフェス出演で
私のバンドGenius P.J’sは
何万人も入る隣のステージのトリ

同じ時間に出演するバンドは
台湾でも凄く人気だという話で
お客さんが集まってくれるか心配だった

サポートとして参加してくれる
百瀬巡さんと会場の方々に
Genius P.J’sのライブの事を伝え回った

その中で台湾や色々な国から来ている
人と友達になった

他愛ない普段の生活の事や
香港の今の現状の事や
多くの話をした

それぞれ夢や希望も持ち
苦労も涙も流し
普通の生活も過ごし
それでもここでこうやって会える時間を
共有している事を楽しいと感じでいた

蓋をあけると
本当に多くの方が
私たちのライブを見てくれ
音楽や気持ちを感じ取ってくれた

人の気持ちってわからないけど
あの瞬間だけはわかった

伝わっているって。

ライブ後も多くの方が
気持ちを伝えに来てくれた

心から嬉しいって思った

色々な人の力を借りて
素晴らしい時間を頂いた

KEIちゃんEMMAちゃん
フェスのスタッフの皆様
サポートしてくれた
祢津くん百瀬さん
相方のchamois
日本でのぼろぼろの私を
気にかけてくれる方々

そして助けてくれた
多くの台湾や色々な国方々に

わたしはきもちを伝えるのが
上手くないけれど
心から溢れるありがとうを伝えたいです

ありがとう。

うしなう

その船をコントロールできない私は
またこうやって大切な人を1人失った。

いつだってこうなってしまう。

わたしは白い部屋にむかった。

気づく

今自分がどんな状態なのか
色々あり
ようやく気がついた

助けてと踠くと
無意識に立てていたその爪で
その人を傷つけていた

それならば
このまま溺れて死んだ方が
いいって思った

great escape

今の私には逃げ場所がなくなって
しまったようです。
落ち着く所ってどこにあるんだろう。

みんなちゃん落ち着く所を
持ってますか?

出来るだけ多くの人が
こんな悲しい気持ちになってない事を
祈る事しかできません。

今はただ逃げる場所が
わたしはほしい。

それでも非情にも
日々は続いて
わたしは歩く事をとめては
ならないのです。

彎曲

誰かを傷つけたい訳ではなかった
一対一で対話をしたかった。

SNSに気持ちを書いてしまってしまい
混乱や迷惑をかけてしまいました。
ごめんなさい。

大丈夫だよって
言ってあけられる存在に
なりたかったです。

皮膚が産まれ変わるように

ひとは再生を繰り返して
生きている

昨年末から今年に入り
自身のバンドGenius P.J’sや
楽曲提供の他にご縁あり
ある事務所の新規事業部に
お誘い頂き新しいチームの
素晴らしい方々に囲まれた中で
音楽を作る場を頂いた。

その他にも今年は普段経験の出来ない事を
させて頂く機会に恵まれている。

日々は
楽しくも目まぐるしく進んでいる。

そんな中
普通であった部分の毎日が
変わり出しているのに気がついた。

行きつけのお店が次々と閉店したり
大切な方が次々にと引越しをしたり
仕事のシステムが大きく変わり
長く時間を共にした人が辞めたりと。

改めて自分はあの日から
こんなにも長い時間を抜けて
今ここに居る事に気がついた。

本当は日々はずっと変わっていた。
それがとても悲しく辛いものだと
いうことも自分は感じた。

それに加え元々人付き合いが
苦手な自分としては
色々な新しい方々と音楽を作る上で
プレッシャーや重圧で
気持ちが不安定な事も多々あった。

ある日そこまでの溜まっていた
何かが自分から溢れ出た。

気持ちなんてなくなれば
いいのになって思った。

そんな中仲間のバンドである
birds melt skyとvalowsというバンドの
サポートで台湾へ向かった。

同じく日本からライブを行いにきた
SaraGrace’s OneHotNightと
3バンドで広い部屋をシェアし
過ごす時間はとても尊いものだった。

朝まで呑みながら色々な話をしたり
早起きして久々にトランプをして
盛りあがったりした。

その良いグルーヴが
ライブで音楽となり
両バンドのライブ共とても盛り上がり
素敵なものになった。

ライブをしている時
気持ちというものがある幸せさも感じた。

気がつくと心に
べばり着いていた
取れない瘡蓋のようなものが
心から剥がれ落ち
皮膚がまた産まれかわったような
感覚があった。

ひとは再生を繰り返して
生きている。

肉体や心の再生が出来なくなった時
人は死んでしまうのだと思う。

そしてその再生をしてくれるのは
結局人なんだと思った。

素晴らしい時間や経験や優しさ頂き
私はまた東京に戻る。

今度は自分が作る作品で
誰かの再生になりたいと思った。

生きるための芸術

死ぬ寸前まで
音楽をする事が出来ているだろうか。

今年は有り難い事に色々なお話を頂き
日々音楽制作を続ける日々が続いていた。

そして一つ今年のテーマとして
やった事がない事には進んで
チャレンジするという事を決めていた。

初めての北海道ツアーや
初めての弾き語りライブやテレビ出演。

みんなはやった事がある事かも
しれないけれど自分は初めての事。

不安やドキドキする事がまだある喜びを
その都度感じていた。

しかし当たり前の事かもしれないが
時間には限りがあり
やりたい事や制作に詰まりかけていた。

ゴールデンウィークに東京にいると
色々誘惑もあるだろうし
少し遠くへ行き
集中して音楽がやりたいと思った。

私はtwitterに
ゴールデンウィークに音楽制作を集中して
出来る場所は無いか?と情報を呼びかた。

そのツイートを見た1人の方が
北茨城市にarigateeという滞在制作できる
ギャラリーアトリエを作ったので
そこで制作してはどうですか?
と提案してくれた。

茨城は私の故郷でもあったのと
やりとりをする中で提案して下さった
のりおさんは以前名古屋での
ライブイベントでお逢いした事のあった方と
分かりこれもご縁だなと思い滞在させて
貰う事にお願いをした。

のりおさんのツイートを
色々と拝見すると檻之汰鷲という名で
奥さまのちふみさんと共に今は茨城で
アート活動をしている事も知った。

自分が一つ目標にしている
芸術で生きて行く事を実践している方の
生活や考え方や色々お話を聞きたいという事も
もう一つの理由であった。

東京から電車で約3時間
気持ちの高ぶりもありあっという間に
大津港という駅に到着した。

駅に着くとお二人が優しく出迎えてくれた。
人見知りの自分なのだが
お二人には自然に話がする事が出来た。

車で30分弱ほど行った山奥に
arigateeはあった。
赤い屋根が特徴的な古民家で
玄関に入ると可愛らしい動物の置物が
出迎えてくれた。

可愛らしい動物が好きなのと
家中もお二人がリノベーションをして
下さったおかげでとても快適で素晴らしい
空間となっていてこれから数日の制作が
ここで出来る事のわくわくを感じていた。

東京から持ってきた機材をセッティングし
制作スペースも作り
集中して制作する事が出来た。

時折ギャラリーに訪れる方々と
お茶を飲みながら色々な生活を聞かせて頂く事もできた。

煮詰まった時には近くの川に行ったり
下山して地元の商店に買い出しを言って
お店の方とお話したり素敵な時間だった。

制作最終日前日の夜
のりおさんとちふみさんが
バーベキューを用意してくれて
沢山色々なお話を聞く事ができた。

アーティストとして生きていく事の
かなり深い所や悩みも聞いてもらった。
不安や悩みは沢山ある。

その中で先陣を切って進んでいる先輩が
居るという事はとても心強い事だった。

アーティストとして生きてく上で
足りないものも分かった。

バーベキューの最後に
沢山お世話になったお2人に
密かに作っていたarigateeという曲を
聞いてもらった。

とても喜んで貰って音楽の本質も
凄く感じれたし
またここに来て今度は地元の方々にも
喜んでもらいたいと思った。

アートや音楽が誰かのほんの些細でも
何かの幸せになっているなら
僕は続けていきたい。

その為に色々考えて動いていきたい。

凄く大切な時間を
北茨城の方々に貰いました。
またここに帰ってきたい。

旅はまだ続くのかなと思った。

北の血


今思うと父はとても不器用だけど

優しい人だったと思う。


私のバンドGenius P.J’sは

横浜のvalowsというバンドと共に

北海道ツアーに行ってきた。

父の出身は北海道の室蘭という所で

幼少期に行って以来だった。


今回のツアーは
ドラムの祢津くん

エレクトリックバイオリンの百瀬さんを

メンバーに迎えた編成だった。


久々に共にライブをする百瀬さんも

とても楽しそうに時間を過ごしているのが

伝わっておれも嬉しかった。


移動やご飯を食べてる時
もずっとみんなで話していて

それがライブの良いグルーヴに
なっているのも感じていた。


美味しいお寿司を食べて一緒に感動したり

とある事があり泣いてしまった姿も

見せてしまったが(下らない内容)

それくらい自分はメンバーに心を開いていた
。

このツアーはvalows
ame full orchestraの飯濱さんを
始め
多くの方々の力を貸して頂いた。


札幌の方々は本当に優しく

沢山の方々がGenius P.J’sを
色々な所に
繋いでくれようとしてくれた。

それが本当に嬉しかった。


そしてふと父の事を思い出した。


父は表現が下手で
伝えたい事を
いつもひねくれた
やり方でアウトプットしていた。

意図が組めず喧嘩もよくしていた。


でも自分も大人になり
あれが
自分や家族に対する彼の
優しさなんだってわかった。

自分は父から受け継いだ

北の血を持っていると思う。


今回北海道の方々に沢山貰った
優しさを
今度はみんなに届けていきたい。


教えてくれたこと

私は貴方が作った物にまだ助けられている。

元々そんなに飛行機の移動は
多くない方だった。
そもそも家族旅行の記憶も
殆ど無い。

そのせいか修学旅行もとても苦手で
みんなでお風呂に入ったり寝るのが
凄く嫌だった。

しかしこの歳になり
旅もいうものが好きになり
その先に大切な仲間も出来た。

明日の大阪でのDJの為
今回は飛行機で向かう事にした。
いつもは新幹線なのだが
ここ最近の悶々の気分を変える為
飛行機にした。
 
話は少し変わり
中学生の頃、田舎に住む音楽ファンの
私は音楽の情報に飢えていた。

当時はネットもなく
音楽情報の収入源は
雑誌とテレビ番組だけだった。

雑誌でバンドの情報は得るものの
音が全くわからない。
CD屋さんも近くに無く
視聴も気軽に出来る環境では無かったので
CDを買うのは博打だった。
し、よくその博打に負けていた。

当時はテレビ欄で音楽と関係するものを
毎朝チェックし全てビデオに録画していた。
過言では無くやっていた。

その番組の一つに私は
大変衝撃を受けた。
その番組はレギュラーでは無く
夜中にやっていた面白要素が強い、
というかバカなバンドを集めた番組だった。

が、その番組に出るバンドは
田舎では到底見る事の出来ない
クレイジーなものばかりで
多分変なもの好きな私の心は奪われた。

多分その一年で300回位その番組を
見返した。
その番組に出ていた猛毒というバンドの
CDを買いに2時間以上かけて
池袋のタワーレコードに一人で買いに
行ったりもした。

兎も角人生を変えられた番組だった。
音楽を始めたきっかけのひとつには
間違いなくなっている。

私はあるきっかけでその番組を
作った方を知り新宿ロフトで見つけた。

見つけた瞬間
この想いを伝えないと死んでしまうと思い
トイレに入って行く彼を中まで追いかけた。

トイレの中で
“おれ貴方の作った番組のファンなんです!”
と言われた彼は、なんだこの変な奴って
きっと思ったに違いない。

その後私の話をきちんと聞いてくれて
とても幸せだった。

あの番組のお陰で(せいで)
今音楽をやっています。と伝えたら
“大袈裟な”と彼は笑っていた。
でも全然大袈裟じゃないって今も思ってる。
 
話は戻りそろそろ
飛行機の搭乗の時間になった。

私はビビリなので乗る前いつも
この飛行機が落ちて死んだらどうしよう
と思ってしまう。

でも今はまだ死ぬ訳には
いかないと思った。

 
私は今とても大切な曲を作っている。
 

いつか自分が死んで自分の大切な人を
助けたいのにそれが出来ない時

大丈夫。応援してる。頑張れ。
という気持ちをこの曲に詰めて送りたい。
その曲で少しでも助けられたと。
 
私が出来る事はそれぐらいだと思った。

でもそれが自分が音楽をしている理由だと
今更ながら気がついた。

それに気づかせてくれて
本当にありがとうと感じた。
 
自分が今も大切にしている番組があるように
自分の曲が、それは烏滸がましいが
誰かを支えられたらと心から思う。
 
だからこの飛行機が
大阪まで無事に墜落しないで
到着することを願っている。