電話

大阪から東京へ来た
音楽の仲間との呑みの後、

心がざわつく電話が来る。

うちの母親は夜中の電話は
いつでも怖いと言っていた。

その大体が悲しい内容の
電話だからだ。

落ち着かない心
考え込む頭
車窓が映しこむ嫌いだった街
大切な人達の久しぶりの顔

病院の前では
祭りがやっていた。

昔だったらこんな時に
祭りなんてやって
はしゃいでるんじゃねえよ
ってイラつく事もあったが
よくも悪くもその気持ちは
今の自分には無くなってしまった。

一気に老け込んだように
見える母の顔

再開が久々だったのか
無理をしてしまい
彼女の体調が急変してしまい
こっちも生きた気がしなかった。

助けてくれる叔母の顔

これからの話

書類の手続き

帰りの車内の
大丈夫と絞り出す妹の声

徐々に近づく東京の街並み

メールくれる母の言葉の弱さ

メールくれる母の優しさ
こんな、時なのに。
一回一回のメールで涙が止まらない

イヤホンから流れる
ドブロクのピミツ

いつだっていつだって

おれは大切な人に

恩返しができていない

大切な人には
最大に幸せになって欲しい

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wake up festival

永遠に音楽を続けられる訳ではない
それはわかってる。

“wake up fes”という音楽イベントに
Genius P.J’sで出演の為
一年ぶりに台湾へ向かった。

wake up festiveは
色々とアーティストへの配慮が
素晴らしくスタッフの方々の対応や
ケータリングも美味しく
会場もお客さんも若い力に溢れてて
このフェスのが素晴らしい事が
ライブをする前から感じていた。

色々あり昨年のspring screamでの
動画と今年のフェスのトレーラーを
作ってくれたseanというカメラマンに
撮って欲しいとお願いした。
急遽になってしまったのに彼は快く
依頼を引き受けてくれ再開を果たした
素晴らしい時間は過ぎていた。

が、雲行きが怪しくなってきたのは
お昼過ぎ位だったろうか。

文字通り、空には黒い雲がかかり
それは大雨とカミナリを齎し
会場はとても荒れていた。
私達のステージは野外だった為
影響はモロにくらう。
案の定ステージでの演奏は
ストップしていた。

ステージのスタッフに話を聞くとこれ
以上続ける事は難しいと言っていた。

楽屋に戻ると可愛らしく笑顔の素敵な
とても感じ良い日本語の出来る
スタッフの子が微妙な表情で
私達の席へ来た。

“天候の為ライブをキャンセルするか?
遅い時間でもいいなら他のステージで
ライブをするか?”選択を求めてきた。

chamoisは即決で
“遅い時間でもライブはしたい”
と伝えた。

1時間程の調整の後私達は
屋内の一番遅い時間へのステージへと
変更になった。

出演時間を見ると24時。
終電は無い時間だった。

昼間に会場と出演時間が書いてある
フライヤーを配りまくったのも無駄になり、人も殆どいないだろうと落胆していた。

カメラマンのseanにも
帰れなくなるから折角来て貰った中
申し訳ないんだけど、
今回は無しにしようと伝えた。
“僕はGenius P.J’sのファンだから
帰れなくなっても撮るよ。
近くにホテルも取れたしね”
と、言ってくれた。

彼の優しさとどこにもぶつけられない
憤りでとても辛い気持ちでいた。

リハーサルの時間
やはり会場には人が殆ど居なかった。
それでもわざわざこの時間まで
残ってくれたみんなに全力で
音楽を伝えようとようやく振り切れた

本番が始まると
自分が想像した以上の人達が
会場に来てくれた。

昼間にフライヤーを受け取ってくれて
絶対見にいく!と言ってくれた娘達や
仲間のバンドの姿も見えた。

夢中でライブをした。

最中トラブルもあったが、
それすら良い流れになっていた。

あの会場にいる人達全員で
Genius P.J’sのライブをしていると
感じていた。

ライブ後、ドラムの祢津くんが
“日本では出来ないライブでしたね”
と言っていたが本当にそんなライブだった。

ライブ後遅い時間なのに
気持ちを伝えに来てくれるみんなに
泣きそうになった。

今回関わってくれた方々
助けてくれた方々。
ネット上で応援してくれた方々に
心から感謝してます。

来年リベンジしたい。
強く思います。

音楽を続けて行くのは
本当に難しく、それは年々体と
気持ちで感じている。

でもこの素晴らしい時間を
音楽で共有できている感覚を
おれはGenius P.J’sのメンバーで
出来るだけ長く続けていきたい。

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みんなの戦争

ドブロクというバンドの新しいCD
“みんなの戦争”のアレンジと楽器提供を
数曲させて頂いた。

私は中学生の頃とても仲の良い友達がいた。彼とは学年が変わっても
部活が違くても関係は変わらず
休日は私の家でカップラーメンを買ってきて、残ったスープにご飯を入れて食べる位
仲が良かった。

しかしある朝学校に行きいつも通り
話かけると何も答えてくれない。
それどころか露骨に避けられていた。
シカトが始まったのである。

私は彼に何か悪い事をしてしまったのかもしれない、何をしてしまったんだろう。と考えたり、彼の家に直接行って謝ったりもした。
が状況は変わらなかった。

結局それは卒業まで続き中学卒業まで
彼と話す事は出来なかった。

その日々はとても辛く学校へも
行きたくなかったし、現に休みがちだった。
(この頃ギターを購入してそれに夢中だっというのもある)

別々の高校になってからも
この事は私のこころの端っこに
モニョモニョ感として残り続けた。

そんなある日彼が甲子園をかけた一戦
があり友達家族と応援に行った。

エースピッチャーだった彼は9回を投げ抜き見事出場を決めた。

泣いて喜んだ。

でもこころの端っこには
どうせ嫌いなおれに喜んでもらっても
嬉しくないだろうなと思っていた。

ある日彼はお礼をしに私達に逢いに来た。

そして彼はここ数年の事が何なかったのように普通に話かけてきたのである。その後仲は戻りそこからは普通に話が出来るようになっていたが、あの期間はなんだったんだ?
と謎は残ったまま。

一度だけ彼にこの件について
聞いて見たことがあった。

彼は”まぁ。。”と言い何も話して
くれなかった。

おれのこころの端っこにある
モニョモニョはホコリを被ったまま
今もまだ居続けている。

戦争というものは形が色々あって
当時のおれはこんな戦争をしていた。

日々人は戦いながら生きていて
色々な戦争を抱えていると思う。

大きい、小さいは無い。

完全に無くなる事はないけれど
それぞれの戦争が出来るだけ
少なくなって欲しいと心から思う。

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