好きという気持ち

昔、実家に住んでいる時に
コロという名の犬(女子)を飼っていた

小学校から帰宅する時に
見つけた捨て犬がどうしても可哀想で家に連れて帰った。

親に飼っても良いか?懇願したが
“世話が大変だし、
うちは共働きだからダメ”と。

しかしおれの頑固さは
小学校の頃から変わっていない。

玄関で一晩コロと一緒に寝るという
ボイコットの末、根負けした親が
ちゃんと世話をしたらいいよと。

コロもおれも大きくなり
高校3年になった頃、
コロのお腹が大きくなっていた。
コロも大人になっちゃって、まぁ!
なんて思っていた。

しかしコロは妊娠とは違うような
体調不良の姿を見せていた。

ある夜家に帰ると、
居間で家族全員泣いていた。

コロが死んだのだ。

話を聞くと妊娠ではなく、
お腹の病気で
(内容はグロなので書きません)
膨れてしまい亡くなったと。

とても悲しかった。
病気に気付けていたら、
そしてあの時自分が
コロを拾ってなかったら。

自分を責めた。

そしてもうこの悲しみには
耐えられないと、
犬は一緒飼わないと心に決めた。

色々な寂しい経験をすると、
その感情に鍵をかけてしまう。
出てきてはダメだよって。

きっと無くしてはいない。
心の奥にはある筈の感情を
抑えているのだと思う。

またいつか出てくるのか
わからない。
それもまた寂しいものだなと思った

コロが死んだ一週間後
犬小屋には新しい犬がいた。
その犬をパルと家族は呼んでいた。
友達という意味らしい。

散々泣いていたのに、
すぐ新しい犬を飼って
こいつらバカかと(汚い言葉失敬)
一週間口をきかなかった。

パルとおれは
友達にはなれなかった。