初めての辛い別れ

辛い別れが人を成長させる。

私はタオルケットというものが
とても好きで
寝る時にあの肌触りが
とても気持ちいい。

その昔、保育園生の私は
“さかな”と呼んでいる
タオルケットを持っており
それを非常に愛していた。

なぜ”さかな”と呼んでいたかというと
タオルケットの端に普通の安全ピンがついていて
それが当時の私には
さかなに見えたようで
それ込みで”さかな”と呼んでいた。

何処に行くにも持ち歩き
安全ピンは噛みまくり
数年も使っていたので
さかなは、もはやタオルケットとは
呼べないレベルの造形になっていた。

が、私それでも深くさかなを
愛していた。

ある日私は嘔吐が止まらない
病気になってしまった。
胆嚢炎という病気で
人生初めての入院をした。

相当気持ち悪いながらも
生意気盛りの私は母に
“さかなを持ってきてくれたまえ”
と指令を出していた。

もちろん病院でもさかなとは
いつも一緒。

2週間程の入院生活を終え、
家に帰ってこれた。

私はすぐに異変に気付いた。

さかなが無い。

親に”さかなはどうした?!”
と怒号をあげたが
“病院に忘れた”の一点ばり。

今すぐ病院に行って
さかなを取ってくる、
と家を飛び出した私に母は
“あまりにも汚すぎるから病院の焼却炉に捨てた。
だからもうさかなはない”と言った。

私は一晩泣いた。

それから母とは暫くの期間
話をする事は無かった。

見兼ねて母は
二代目さかなを買ってきたが
もうそれに愛情注ぐ事が
出来なかった。

そして私はタオルケット
立ちしたのだ。

生きていると辛い別れがある。

その辛い別れとはふいに
やってきて人に成長をもたらす。

でも心の強くない私は
そんなに辛い別れは
沢山無くてもいいなって思った。

あれから数十年経った私は今、
新しいタオルケットを
抱いて寝ている。2015